女神の旋律 第一章 その5
「……お兄ちゃん。」
見目麗しき乙女の口から出てくるとは到底思えないような低音ボイスでカリルは呼びかける。
「な、なんだ?」
思わずちょっとビビってしまうセイル。
「お兄ちゃん。なんで私がアイツのこと毛嫌いするか分からないの?」
「ぜ、全然分からないが……。」
唇の片端を上げてセイルの瞳をまっすぐに見つめて問いかける。
「そう……お兄ちゃんには分かると思ったんだけど。聡明なお兄様にはね。」
「カ、カリル……何が言いたい?」
完全に脅えている。カリルの表情を窺うようにして言葉を返す。そんな兄の姿を見て、カリルはにっこり笑った。
「だからね。」
「なななななな何だ!?」
先程の皮肉っぽい表情から一転、天使の微笑を浮かべる妹に底知れぬ恐怖を感じるセイル。カリルは更に笑顔のレベルをグレードアップさせ、見た人の心を蕩かすような微笑を浮かべて言った。
「サード王子ってお兄ちゃんに似てるから嫌いなの。」
「……は?」
突然投下された爆弾発言に一瞬思考が止まるセイル。それを見て、カリルはもう一度噛んで含めるようにゆっくりと言った。
「だから、サード王子って、お兄ちゃんに、性格が似てるから、嫌なの。」
「……」
一瞬の沈黙の後、カリルの言いたいことを理解したセイルは、怒りのあまり見る見るうちに朱に染まる。
「カリル……」
俯いて、握り締めた両手を震えさせながら、先程のカリルに負けないほどの地の底から呼ばわるような低い声で妹の名を呼ぶ。
「なあに? お兄ちゃん。」
「お兄ちゃんに似てるって、具体的に言うとどういうことなんだ。」
あ、キレてる。おもしろーい。せっかくだから言いたいこと言っちゃおう。
加虐心を刺激されたカリルは容赦なく兄を傷つける言葉を言う。
「うーんと、言うことがいちいち芝居がかっててうざいところとかぁ。」
「……とか?」
「思い込みが激しくて人の話全然聞いてないところとかぁ。」
「……」
「本当は大したことないのに自信過剰で勘違いなところとか。」
ブチッ。
セイルの頭の中で何かがブッちぎれる音がした。
「セイル様、ここはなんとか抑えてください!」
「セイル様、カリル様が本当にそんなこと思ってるわけありませんって!」
「カリル様も少し言い過ぎですわ!」
「本当のことでも言っていいことと悪いことがあるんですよ!」
兵士やら侍女やらが最悪の事態を避けようとして口々に喚く。が、少し煽っているような気もする。その隙にカリルは、セイルが怒りを爆発させる前に逃げる準備をする。カリルはそっとバルコニーの手すりに近づき、その上に上るとそのまま飛び降りた。下は土なのでそれほどの衝撃はない。着地後、軽くスカートの裾を払うと、さっさと走り出してバルコニーから見えなくなった。
一方、暫く必死で耐えていたセイルが、ついに怒りを抑えきれずに顔を上げてカリルに雷を落とそうとしたその時には、カリルの姿はすでになかった。まさか…と思いながらも慌てて手すりに駆け寄るセイル。そして下を覗き込んで叫んだ。
「カリルーーーーーっ!!」
しかし、その声は中庭に空しく響き渡るだけだった。暫し呆然と立ち尽くすセイル。そして。
「はぁーーーーーー……。」
いつもの如くカリルに振り回されたことを悟り、その場にいた全員が深い深いため息をついたのであった。