女神の旋律 第一章 その6
カリルは庭園内に作られた『熱帯雨林を再現した植物園』の中を歩いていた。周りには何やら毒々しい赤や黄色の花弁に黒い斑点の散った花弁を持つ大きな花が咲いている。いや、咲いているというよりも張り付いているという感じだ。カリルの上半身ぐらいありそうな大きな肉厚の葉がでろーんとぶらさがっていたり。辛うじて黄色を保っているがほとんど黒に近いような色をしたブツブツが沢山集まっている実らしきものがくっついていたり。かなり不気味である。しかも、いっそ禍々しい程までに醜い花々からは強烈な花粉の匂いがする。花粉症の人にはたまらないだろう。
実はカリルも花粉症だったりするのだが、『花粉の魔の手から美少女カリルちゃんを守るのよマスク』と勝手に命名したマスクを装着しているので安心だ。
「前は、何でお姉様はこんな不気味な庭を作ったのかしら、って思ってたけどこういうときには便利ね。すごーく気持ち悪いけど。夜とか来たら怖そう〜。」
何故便利かと言うと、この植物園には怖すぎて誰も近寄らないからである。城内の者はこの植物園の気持ち悪さを既に知っているのでこの一帯は避けて通る。時折物好きな他国の貴族などが城へ来たついでに見に来るが、入り口のドアを開けた途端回れ右をする。あとは、南国からわざわざ呼び寄せて雇っている庭師が月一回来るのと、これを作った張本人であるリリナ王妃がたまに来るだけである。リリナ王妃はカリルの姉で、シェリスタ国に嫁いでいて、2才の可愛い男の子の母である。ストレートの金髪を長く伸ばし、瞳は鳶色。虫も殺せないような穏やかな雰囲気を持った、優しい微笑の良く似合う女性である。そのくせ、あーゆーグロテスクな不気味な気持ち悪いものが大好きという、ギャップのありすぎる御仁である。
まあ、それはいいとして。カリルはこれからどうするかを考えていた。
お兄ちゃん、今頃怒ってるだろうなー。今帰ったら自殺行為だよなー。
とか思いながら部屋に戻ろうにも戻れなくてウロウロしているうちに、段々日も落ちてあたりが薄暗くなってくる。
「こ……怖いよっ……。」
いくら気の強いカリルでもこの熱帯雨林はさすがに怖い。本当に人を怖がらせる以外何の役にも立たない植物園である。
「帰りたい……。」
しかしそもそも出口に辿り着けない。この植物園は熱帯雨林を再現しているため、無駄に広いのである。城に戻るとか戻らない以前にここから出られない。おまけに灯りが月だけで周りが見えにくいため、気持ち悪い葉っぱや花が身体に触れるたびいちいちびくつかなくてはならない。非常に精神衛生上悪い。こんな場所からは一刻も早く出たい。
「でも……そもそも出口ってこっち方面であってるのかな……?」
出口のあまりの遠さに不安になってカリルが呟いたその時。進行方向から茂みがガサガサと動く音がした。
「やっ……何? なんかいるのっ?」
反射的に身を硬くしたカリルの耳に人の声のようなものが聞こえてきた。
「カリル様―っ。カリル様ーっ。」
小さな声だが彼女の名を呼んでいるようである。しかも段々とこちらに近づいてくる。
「ス……スイラン?」
本当に? スイラン? なんでスイランがこんなところに??
一瞬にして頭の中を疑問符が駆け巡る。が、そんなことを考えている間に声の主はカリルのすぐ傍まで来た。間近に沸いた気配に、人だと分かっていてもとっさに脅えてしまう。
「だ、誰 ?スイランなの……?」
恐る恐るその人影に訪ねる。
「スイランですが……カリル様? そこにいらっしゃるんですか?」
優しくカリルに声を掛ける。その途端、カリルは詰めていた息をふうっと吐き出した。
「スイランっ……。」
カリルが呼ぶとその人影はカリルの方に一歩進み出る。月明かりが彼女の姿を控えめに照らした。
肩の少し下辺りで切り揃えられたつややかな漆黒の髪。瞳の色は穏やかなダークブラウン。背はカリルより少し低いが、ずっと大人っぽく落ち着いた雰囲気の女性である。カリルより2歳年上で幼少の頃よりカリルの世話を焼いて、侍女兼お守りの一身に引き受けている。