女神の旋律 第三章 その11
 ……で、どうしよう。
 当たり前だが、リュオは困っていた。
 スイランに頼まれたのはいいが、どうすればカリルを慰められるのかまるで分からない。
 こんなに弱ったカリルに対して、何をしてやれるっていうんだ? スイランはオレに何を期待してるんだよ。
 「……おい、カリル。」
 恐る恐る声をかけてみるが、答えは返ってこない。
 小山のような形に膨らんだ布団の中身は何の物音も立てずに、ただ細かく震えていた。
 その無音の動作が何を示しているのかに気づいて、リュオは柄にもなく胸が痛くなる。
 「お前……泣いてるのか?」
 静かに問いかけると、布団の動きがピタリと止まった。
 「泣いてなんかないわよ! バカッ!!」
 ガバッとカリルは布団を剥ぐと、明らかに今まで泣いていたと知れる涙の滲んだ瞳でリュオを睨みつけた。その口調はいつもの何分の一かの勢いしかないし、その瞳からは今にも新たな涙が溢れてきそうだ。
 リュオはその痛々しい姿に、胸が貫かれるような想いがした。
 呟くように、自然に言葉が漏れる。
 「お前……我慢するなよ。」
 「何……を、よ。」
 きっと言い返したら、その勢いで涙が溢れてしまいそうなのだろう。ぐっと下を向いて振り絞るようにカリルが反抗する。
 「何をって、その……いや、だから、泣きたいならってことだよ。」
 慣れない状況に言葉を上手く紡ぎ出せない。どんな言葉をかけたらいいのか分からない。
 カリルを慰められるような言葉一つ浮かばない自分が、もどかしくてしょうがない。
 「何で、私が、泣かなきゃなんないのよ……!」
 吐き出すように言った傍から、我慢しきれなかった涙がカリルの瞳から零れた。
 「あ……。」
 無意識に頬に当てた手に雫を感じて、カリルは驚いたように小さく声を上げた。
 一度堰を切って溢れ出したものを再び止めるのは困難だ。
 我慢していた分涙はあっという間に勢いを増し、とめどなく流れ続ける。
 「怖かったんだよな。……ごめんな。」
 リュオがポツリと呟いた瞬間、カリルは箍が外れたかのように声を上げて泣き始めた。
 「こ……怖くて……痛かった……! もっと、早く、助けてよ……バカ……!」
 「ごめん……カリル、ごめん。」
 布団に突っ伏してしゃくり上げながら発する言葉に、リュオは色んな意味を込めて謝罪の言葉を繰り返した。
 いつも強気でリュオになど弱みを見せたことのないカリルが、憚ることなく泣いている。
 それはリュオに酷い衝撃を与え、同時に気づかせた。
 確かにカリルは強気で我が儘で暴力的だが、同時に男に免疫もなく力も弱いただの女の子なのだ。だから初めてぶつけられた男の剥き出しの欲望と暴力に、こんなにも脅えて傷ついている。
 ……それをオレは分かってなかった。
 自分の馬鹿さ加減に泣きたいような気持ちになって、リュオはひたすらカリルに謝った。そして誓った。
 カリルを二度とこんな目に遭わせてはいけない。
 自然に片手を伸ばして震えるカリルの頭にそっと触れ、子供をあやすように優しくゆっくりと撫でる。
 「これからは守るから安心して欲しい」という意味を込めて。
 カリルは一瞬びくりと震えたが、振り払うでもなく、されるがままになっていた。
 どれくらい時間が経っただろうか。
 カリルが一しきり泣いてその泣き声が治まった頃、リュオはそっと話しかけた。
 「カリル、少し落ち着いたか……?」
 呼ばれてカリルがゆっくりと顔を上げると、深い瑠璃色の瞳が覗き込むように見つめていた。
 ああ、リュオが居てくれたんだ。
 溢れ出る感情のままに泣くことに夢中で薄れていた、少し前の記憶が徐々に甦ってくる。
 怖くて怖くて逃げ出したくて、でもシリアの力は強くて。男の人に本気で力を振るわれたら抵抗なんて出来ないんだ、と本能で悟ってしまって、余計に怖くて。
 運良く助けて貰えたけど、安堵より痛みと恐怖の方が大きかった。
 ……でも泣いたら、泣いたら負けのような気がした。泣いたら、いつものカリルではなくなってしまう。弱々しい女になってしまう。だから泣き叫びたくてたまらないのに、必死で我慢した。
 なのに……リュオの低く優しい声とその言葉を聞いて、涙が止まらなかった。我慢できなかった。思いっきり泣いても大丈夫なのかもしれないと思ってしまった。
 自分が何を口走ったかも全然覚えていないほど、ひたすら泣いた。
 ただ、リュオが悲しそうな声でずっと謝罪の言葉を口にしていたこと、「もう大丈夫だよ」とでも言うように頭を撫でてくれていたことは覚えている。
 その仕草に安心して、余計に泣いてしまったことも。
 「……大丈夫か?」
 心配そうに見つめる瞳には、カリルを心配し、労わる気持ちが表れている。
 ……何だか、スイランみたい。
 リュオの声音も表情も、スイランがカリルを気遣うときのそれと似ていて、カリルに大きな安心感を与えた。
 カリルがこくりと頷くと、リュオはほっとしたように微笑む。
 「良かった……思いっきり泣いて、少しはすっきりしたか? じゃあ、そろそろ寝た方がいいぞ。疲れてるだろ?」
 「うん……。」
 再び頷いてベッドに横たわると、リュオはやや頬を紅潮させて続けた。
 「ああ、その……オレもこの部屋にいるから。……だから、もう、怖いことなんてないから、安心して眠れよ。……ええと、つまり、その、……オ、オレが、守るからっ……。」
 ちょっと不思議そうにじっと見つめるカリルの視線から瞳を逸らして明後日の方向に泳がせ、つっかえながらも言い切る。
 「じゃ、じゃあ、オレはドアの傍で見張ってるから。何かあったら呼べよ。……おやすみ。」
 そう言ってベッドから離れようとするリュオを見て、カリルは心細くなって思わず呼んだ。
 「リュオっ……。」
 「どうした?」
 即座にくるりと振り返ったリュオに、カリルは縋るように懇願する。
 「……こっちに居て……。」
 不安に揺れる大きな瞳に見つめられて、リュオは迷いもなく即答していた。
 「分かった。……え、えっと……あ、じゃあ、この椅子持って行ってそこに座るよ。それでいいか?」
 「うん……。」
 リュオは多少ぎくしゃくしながらも椅子をベッドの傍に運んで、そこに座る。
 「……一晩中、ここに居るから、あ、安心しろ。おやすみっ。」
 「うん。……リュオ、ありがと。おやすみ。」
 いつになく素直に、リュオの優しさや心遣いへの感謝を込めてそう言いながら久々に少し微笑むと、カリルは瞳を閉じた。
 そして隣でリュオが見る見る顔を赤くしていったことも知らず、深く心地よい眠りに落ちていった。
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