女神の旋律 第三章 その2
 一方その話題の中心人物は。
 「スイランーーつかれたーー。」
 実家で家族会議が開かれたことも知らず、スイランに文句を言っていた。先程から幾度となく繰り返されている言葉だ。
 「カリル様、あと少しですから。もうちょっと頑張ってください。」
 「脚痛いーー。」
 そんなに歩くのが嫌なら家出なんかしなければいいのに……。
 先程から幾度となくスイランも機械的に同じ言葉を繰り返し、同じことを思った。
 一向は海沿いの街道に繋がる道を、東に向かって歩いていた。行く手には、シーラという港町がある。共に旅を始めてから早3日。途中通った村の民家に泊めてもらったり、野宿したりしながら歩き続けてなんとか今日中にはまともな町に辿り着けそうである。体力のあるセロイやリュオ、いつも里帰りの際にはこの道を歩いているスイランは多少の疲労はあるもののこの程度の行軍には耐えられる。しかし、日頃こんな長距離を歩いて移動したことなどないカリルは、地面や硬いベッドでの睡眠で疲労が取れないこともあり、かなり参っていた。
 「スイランーーつーかーれーたーー。」
 「カリル様、もう少しですから……。」
 とカリルの何十回目かの言葉にスイランが答えようとしたとき。
 「そんなに歩くの嫌なら家出なんかするなよ。」
 ボソッとリュオが呟いた正論が、カリルの地獄耳に入った。
 「……ちょっとリュオ。なんか言った!?」
 一瞬にして臨戦モードに入る二人。そしてスイランが止める間もなく、二人の舌戦は開始された。
 「ああ、言ったよ。そんなに歩くの嫌なら家出なんかしなきゃいいだろ!」
 「歩くのが嫌なんじゃないわよ! ただ脚が痛いから休みたいだけ!!」
 「だからそれが歩くの嫌ってことだろ! 大体お前荷物も全部人に持たせてるくせに疲れんの早すぎなんだよ!」
 確かに、カリルは荷物を全部リュオに持たせ、自分は小さなショルダーバックを一つ持っているだけである。しかしそんな反論にカリルが屈するわけがなかった。
 「しょうがないでしょ! 私の細くて美しい脚はリュオのゴッツイ脚と違って繊細だから疲れやすいの!!」
 「自分で美しいとか言うな! そんなんでお前本当に旅する気あんのかよ!?」
 「事実は事実でしょ! それにそもそもこんな可憐な乙女が歩いて旅するってのが間違いなのよ!」
 「旅ってのは歩いてするもんなんだよ! おい……まさかお前人に荷物持たせた挙句、負ぶれとか言い出す気じゃないだろうな!?」
 「あんたには頼まないから大丈夫よ! もっとカッコいい黒髪のひとに頼むから!!」
 「じゃあもっとお前の気に入るようなカッコいい奴に荷物も持ってもらえよ!!」
 「しょうがないじゃんリュオしかいないんだから! こんな美人の荷物持ち出来るんだから光栄に思いなさい!!」
 言うことが無茶苦茶である。
 「だから自分で美人とか言うなって! セロイに持たせりゃいいだろう!」
 「確かにセロイはあんたよりカッコいいけど、セロイはスイランの持ってるんだもん! 2つも持たせるのは可哀想でしょ! しょうがないからあんたに持たせてやってるんじゃない! そんなことも分かんないの!?」
 「分からなくて悪かったな!そんなにオレが嫌なら荷物なんか持たせんなよ!!自分で持て!!」
 「何それ!か弱い乙女に重い荷物持たす気!? 信じらんない!」
 「全っ然か弱くねーよ!」
 「ひっどーい! もーいいわよ! あんたになんかに私の物を持つっていう栄誉はやらない! 返して!!」
 「言われなくても返すよ! この勘違い女が!!」
 「ふんっ! この役立たず!!」
 リュオが突き出した荷物をふんだくると、カリルは憤懣やるかたないといった様子で唖然としているスイランに言い放つ。
 「スイラン! こんな奴ほっといて行くわよ!!」
 「えっ……カリル様っ……!」
 戸惑うスイランの返事も待たず、カリルはか弱い乙女に似つかわしくない大股でドシドシと先へ進んでしまう。突然のことにいまいち対応できないスイランは、困ってセロイの顔を見上げた。
 「……とりあえずカリル様に着いて先に行きますね。」
 「あぁ、そうしてくれ。今のカリルには何を言っても無駄だろう。」
 セロイはスイランに向かってそう言うと、隣でやはり頭に血を上らせてそっぽを向いているリュオににやりと笑って呼びかけた。
 「おい、リュオ。お前お手柄だな。」
 「……何がだよ。」
 セロイの言葉の意味するところが分からず、リュオは不機嫌そうな声で聞く。セロイは不思議そうな顔で見上げるスイランとリュオの両方を見ながら、再びにやりと笑った。
 「いや、お前のおかげでカリルは自分の足で歩いて町まで行く気になったみたいだし。」
 その答えに、スイランがはっとしたような表情でリュオを見た。
 「確かに……! あの様子だと怒りのパワーで町まで辿り着いちゃいますね!」
 「だろう? リュオ、お前カリルをコントロールするのが上手いな。」
 「……別にコントロールしたわけじゃねーよ。あいつが文句ばっかり言うから腹が立っただけで……。」
 セロイの場違いな褒め言葉に反論するリュオ。だが、セロイはいつものようにあっさりとリュオを無視した。
 「やっぱりカリルとやっていけるのはお前だけだよ。ああも簡単にカリルをやる気にさせるなんて凄いな。」
 「いや、だから……。」
 「本当ですね。リュオさんありがとうございます。リュオさんがいるだけでカリル様のモチベーションが上がるなんて素晴らしいことです。」
 「だからオレはカリルと喧嘩してただけで……。」
 「そうだな。実にいいコンビだ。」
 「ですね!」
 「……。」
 全く話を聞いてもらえないリュオは、さっきまでの怒りも忘れてただがっくりと肩を落とした。
 「さ、俺たちもカリルに追いつかなくてはな。」
 「そうですね。早く行きましょう!」
 「リュオ、行くぞ。」
 「……。」
 リュオは最早何の言葉も発せなくなった。ただ早く宿で休んで、このなんとも言えない虚脱感というか精神的疲労を癒したい、そう強く願うだけだった。
← previous | novel index | next →