女神の旋律 第三章 その4
「でも、カリル様。何で急に可愛い洋服が欲しいとか言い出したんですか? 今まであんまり気にしたことなかったじゃないですか。」
ショーウィンドウを眺めて歩きながら、スイランは不思議そうな顔でカリルに問いかけた。
スイランの疑問はこういうことである。カリルは普段からあまり服装に関してあれこれ言わない。レースがふんだんにあしらわれたドレスや、巨大な宝石の散りばめられたアクセサリー、ベルベットのような肌と男性を魅惑する唇を作るための化粧品や、数千数万もの薔薇や百合の花から抽出した香水など、この年頃の女性なら誰もが一度は夢見るものに興味を示したことなど全くない。
服はいつも飾り気のないワンピースやスカート。アクセサリーも家族からのプレゼントであるシンプルなペンダントとブレスレットで、毎日同じものを身に着けている。化粧品や香水に至っては公式の場に出るとき以外使ったことがない。5歳のときから一緒にいるスイランが知らないのだから、本当に興味を持ったことがないのだ。
そんなカリルが服装に興味を示すとは。
「だってースイランの服って地味で可愛くないんだもん。」
「…………それはどうもすみませんでしたっ。」
一瞬ぶすっとするスイラン。しかし実際、スイランの持っている服は黒やグレーなど暗めの色ばかりである。スイランの控えめで目立たない性格を表しているとも言えるが、確かに地味である。
「でも、地味だっていいじゃないですか。旅をするんですから動きやすさが一番ですよ。第一別に誰に見せるわけでもないですし……ってカリル様、もしかして!」
何やら急に瞳を輝かせるスイラン。何に気づいたのか知らないが、うんうん、というように頷くと勢いよくカリルに向き直る。
そしてカリルの両肩に手を置くと、じっとカリルの瞳を見つめて話しかけた。
「いいですか、カリル様。」
「何よ?」
「お洒落って言うのはですね、お慕いする男性のためにするものなんです。女性はいつだってお慕いする方には綺麗だと言われたいもの。ですから皆一生懸命お洒落するんです。」
突然じっくりと言い聞かせるように話しかけるスイラン。全くもって意味不明だが、カリルはそれにあっさりと言い返した。
「そんなこと分かってるわよ。」
「え、カ、カ、カ、カリル様!? ほほほほ、本当ですか!?」
あまりの意外さに舌が絡まって言葉が上手く出てこない。手は無意味にバタバタと動き、頭は首振り人形のようにガクガクと震えている。この一言ですら驚愕だったのに、カリルは更にスイランに第二打を浴びせた。
「女の子は好きな人のためにお洒落するんでしょ?」
うそ、カリル様、まさか、本当にっ!?
予想外の展開である。まさかカリルが自分で言い出すとはスイランも思っていなかった。恋愛経験皆無、結婚相手は条件第一で黒髪男性しか視界に入らないカリルがまさか……!
「カ、カリルさまあっ!」
一刻も早く確かめたい気持ちと、ここは慎重にゆっくりと確かめなければならないという気持ちが入り混じって声が裏返る。
「ももももももしかして、お慕いする方がいらっしゃるんですか!? その方のために装いたいって言うんですか!? そ、そ、それは、まままま、まさか、リュ……!」
「そう、これから出逢う黒髪の素敵な御方のために可愛いお洋服が欲しいの!」
胸の前で両手を組んで、夢見る乙女のポーズを取りながらお空に向かって叫ぶ。
「……ってスイラン!? どうしたの? 大丈夫?」
夢見る乙女状態から脱却してふと傍らを見ると、スイランが口を開けたまま固まっていた。
「ちょっと、スイラン!? 何があったの?」
虚ろな瞳をしたスイランの様子に焦ったカリルは、慌ててスイランの両肩を掴んでガタガタと揺さぶった。その物理的な刺激に、焦点の定まらなかった瞳をようやくカリルの顔に合わせたスイランは、今まで聞いたこともない程げっそりとした声で言った。
「……いえ……大丈夫です、カリル様……。」
「ほんとに? なんか一気に老けたみたいだけど……?」
「……ご心配なく……ちょっと疲れてるだけですから……。」
「そう? 大丈夫ならいいけど。じゃあ服買いに行こう。」
「ええ……。」
実に簡単にスイランに対する心配を捨て去ると、意気揚々と店に向かうカリル。その後ろを、スイランは背中を丸めて肩を落としたまま、とぼとぼと付いて行くのであった。
さて。リュオたちと別れてから約1時間半後。
カリルは店の姿見の前で、思いっきり自画自賛していた。
「えーそれも可愛いー。これも私にぴったりー。でもこっちも似合うと思わない? ねぇスイランー、全部買ってもいいでしょ?」
「駄目です。」
きっぱりと言い放つ。先程のダメージから回復したスイランは、カリルの衝動買いを防ぐという使命を全うしようとしていた。
「決めらんないよー!だって私可愛いから全部似合っちゃうんだもん。」
「可愛いから何着たって一緒です。」
抑揚のない声で褒めてるような貶してるような言葉を吐くスイラン。言葉が冷たいのは先程のショックがまだ後を引いているせいかもしれない。
「どれでもいいから早く決めてください。買うのは一着と、あとは替えの分だけですから。」
「スイランのばかー。」
泣き真似をしてみるが、スイランが全く動じないのを見て諦める。しょうがないので必死に考えて、一つのコーディネートを選び出した。
「……これにする。……どう?」
とっくに自分の必要なものを見繕って、カリルが決断するのを待っていたスイランに恐る恐るお伺いを立てる。それを見て、スイランは久々に優しい笑みを見せて頷いた。
「いいと思いますよ。とてもお似合いです。」
「でしょ?」
嬉しそうに可愛らしい笑窪を見せて笑うカリルから服を受け取ると、スイランはお会計をしにレジに向かう。
「毎度ありがとうございまーす!……合計で420,000リルになります!」
「……それはいくらなんでもちょっと高すぎじゃないですか?」
営業スマイルを標準装備した店員のお姉さんに、にっこりと微笑んでスイランが言う。
「いやー、でもどれもいいものですからね。どうしてもこれぐらいになっちゃうんですよ。」
困ったように眉根を寄せて見せる店員に、スイランはイラッとした様子を欠片も見せずに言い返す。
「いいもの……?でもこの革はイリア牛じゃなくてキーヌのものですよね?それで40,000はちょっと高く見すぎじゃありません?」
「……確かにこれはキーヌの革ですが、加工がですね……」
「でも結構縫い目も粗いし、決して高級品じゃないでしょう? マントも最高級のインディーの毛じゃなくて普通のアスタカ羊ですし。」
にこやかな笑顔を崩さず、言い募る。店員も必死で抵抗するが、スイランは攻撃の手を緩めず、
「……高級品ではないですが、これは手間がかかってまして……」
「これ手織りじゃなくて機械織りですよね? ようするに大量生産品ですよね?」
「……いや、でも、ほら、こちらの商品なんかは防寒性も高いですし……」
「でもこれ6つも買ってるんですよ?普通のお店だったら3つも買ったら30%引きですよねぇ。少しは割引してくださってもいいと思うんですけど。」
「……じゃあそれはサービスして3割引にしましょう……。」
という具合に着々と値引き交渉を進めて行き、
「では、全部で282,100リルになります……っ!」
と満面の笑みのスイランの横目に、お姉さんは泣く泣く宣言したのであった。