女神の旋律 第三章 その8
 「じゃあカリル様、おやすみなさい。何かあったらすぐに呼んで下さいね……!」
 「はーい、おやすみー。」
 心配そうな顔をしたスイランがドアの向こうに消えると、カリルはふかふかのベッドに飛び乗り、布団の中に足を入れた。
 あーあったかい。
 久々の羽布団の柔らかい感触にご満悦のカリル。
 幸せー……。
 「あ、そうだ、鍵閉めなきゃ。」
 暫くその温もりに浸ってぼーっとしていたカリルだが、ふとスイランに厳重に言い渡されていたことがあったのを思い出した。
 「何か知らないけど『絶対鍵閉めておいてくださいね!』とか言ってたなー。何でだろう?」
 せっかく温まった足がまた冷えてしまうような気がしたが、それを言った時のスイランの怖い顔を思い出して仕方なく一旦ベッドから出てドアの鍵を閉める。
 カリルだってたまにはスイランの言うことを聞くのである。
 それにしてもシリアってカッコいいなー。
 再びベッドに戻ったカリルは、布団の中でゴロゴロしながらむふふと笑う。
 理想そのままだし優しいし紳士的だしなー。シリアこそ理想の結婚相手かも。
 スイランの懸念通り結婚のことにまで妄想が及ぶカリル。
 シリアと結婚したらどんな感じかな?
 きっと毎日綺麗だって言ってくれるし、沢山贈り物もしてくれそうだし、蝶よ花よと大事にしてくれそう。
 そこまで考えて、カリルはふと思った。
 でも……それってなんか物足りないな。
 一瞬そんな言葉が浮かんでしまい、慌てて否定する。
 ……いや、そんなことないわ。絶対楽しいはず。
 欲しいって言ったら何でも買ってくれそうだし、我が儘言っても「美しいあなたの頼みならしょうがないですね。」とか言いながら聞いてくれそうだし。
 しかし、やっぱり思ってしまうのだ。
 そんなの……楽しくない。
 確かにシリアは理想の人だ。
 見目麗しく、物腰も紳士的。穏やかで怒ったりしなさそうだし、いつもカリルの美しさを褒め、大事にしてくれるだろう。
 もちろん、外見を賞賛され、淑女として扱ってもらえるのは嬉しい。カリルだって女の子である。綺麗だ、可愛い、と言われて嬉しくないわけがない。
 でも、それだけでは物足りないのだ。
 はっきり言って、カリルはちやほやされるのには慣れていた。自国の王女様をちやほやしない家臣などいないし、その昔まだパーティーにちゃんと出席していた頃は、カリルに話しかける人は皆カリルを敬い、褒め称え、礼を尽くした。
 しかし同時に、カリルは王女らしからぬ扱いを受けることもしばしばあった。
 両親はカリルを溺愛しているが、一方でちゃんと「言うことを聞かない困った子」として認識している。カリルが行き過ぎた我が儘を言った時は嗜めるし、許し難いことをしでかした時は母が鉄槌を下すこともある。兄弟姉妹は皆カリルのことを「世話のかかる妹」としか見ていないし、本来最もカリルを崇め奉らなければならない立場であるスイランですら、敬語こそ使っているが完全に「妹」認識で、文句を言ったり叱ったりしている。
 だからカリルは知ってしまっていた。
 大事に扱われ賞賛されるよりも、対等に扱われて、時にはぎゃあぎゃあ言い争ったり、怒ったり泣いたりしてるほうが何倍も楽しいということを。
 シリアは理想通りの人だ。
 でも、彼は決して私を対等に扱わないだろうし、言い争ったり喧嘩したりなんてきっと出来ない。
 ずっと夢見ていた理想の人が見つかったと言うのに、物足りないなんて……。
 柄にもなく真剣に思い悩むカリル。
 やっぱりシリアじゃダメなのかなぁ……。あんなにカッコ良くて素敵なんだもん。そんな理由で諦めるのも変かもしれない。
 大体シリアでダメだったら一体どんな人と結婚すればいいのよ? 一緒にいて楽しい人ってこと? それって誰よ?
 一瞬誰かの顔が浮かんだ気がしたが、それは本当に一瞬だけですぐに忘れる。
 でもやっぱり理想を諦めたくはないのよねー……。
 結局理想を取るか結婚の現実を見て理想を諦めるか、いくら考えても結論は出ない。
 うーん、もう分かんない! ああ、めんどくさい! もう寝る!!
 慣れない苦悩に疲れたカリルは、最終的にはその行為を放り出して何も考えないようにし、布団に包まって瞳を閉じた。
 男はそっとその部屋のドアに鍵を差し込むと、ゆっくりと回し鍵を開けた。大きな音をさせないようにノブを回して引き、わずかに開けた隙間から室内に身を滑らせる。そして開けたときと同じ慎重さを持ってドアを閉め鍵をかけると、ゆっくりと部屋の奥にあるベッドへと歩み寄り、ベッドの傍らに立ってそこに眠る者を見下ろした。
 それは美しい娘だった。
 流れるように枕に広がる艶やかな髪。一筋二筋が薄く色づいた頬にかかり、呼吸と共にわずかに震えている。長く繊細な睫毛は月明かりに照らされ、ふっくらと弾むような肌に濃い影を落としている。わずかに開いた薄紅色の唇からもれる小さな寝息が、彼女が今夢の世界にいることを物語っていた。
 やはり、この上なく美しい。
 男はその寝顔を見て最大級の賛辞を心に浮かべる。
 彼女は男が今までに出逢ってきた数々の女性の中でも飛びぬけて美しかった。それは、ただ造作が美しいと言うだけではない。少女のように清らかなのに、大人の女性としての魅力も兼ね備えている。そんな不思議な魅力が彼女にはあった。
 自分のものにして、一生傍に置きたい。
 彼は一目見たときからそう思った。だから優しい言葉をかけ、紳士的に振る舞い、柔らかく微笑みかけた。
 彼は自分の魅力をよく理解していた。自分の容姿や声、雰囲気が女性に与える影響を熟知していたし、それを活かす方法も知っていた。
 そしてそれを最大限に利用して数々の女を落としてきた。彼が欲しいと思った女で手に入らなかった女などいなかった。
 女一人手に入れることなど簡単だ。
 現に彼女も彼に微笑みかけ、目を輝かせ、頬を上気させていたではないか。最早この娘も彼の手中に落ちたも同然だ。
 薄っすら笑って彼はベッドに手を突くと、彼女の安らかな寝顔の上にそっと屈み込んだ。
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