女神の旋律 第四章 その1
 国王陛下 王妃様
 カリル様の近況をご報告致します。
 カリル様はいつも通りとても元気です。
 ずっと歩き通しで途中野宿をしたりとカリル様にとってはお辛い道のりでしたがよく我慢して頑張っています。
 初めはすぐ音を上げてしまうと思っていましたが、意外に持ち堪えているので、お城に帰るのはもう少し後になりそうです。
 カリル様の安全のために護衛の方を二人雇いました。私達と同年代でお若いのですが、とても腕の立つ方々です。事情があって名前などは明かせませんが、信頼できる人達なので安心してください。
 現在私達はシーラに到着したところで、ヴァーン商会という貿易会社のシリア・ヴァーンという人の家に宿泊しています。
 実はこの方が不敬にもカリル様に狼藉を働こうと致しました。幸い護衛の方が未然に防いで下さったので、カリル様に大事はありませんでした。護衛の方がかなり懲らしめて下さったみたいで二度とそのようなことはしないと思いますが、一応ご報告しておきます。
 カリル様は心身ともに次の日には復活していたので、大丈夫です。
 この先はシーラで数泊した後クリアルヌに向かう予定です。ヴァーン商会に旅券を作らせているので、それを持って国境を越えるつもりです。クリアルヌに到着したらまたご報告致します。
                                スイラン・ミリアム
                   シーラ イストレン通り南 シリア・ヴァーン邸にて
 スイランからの手紙を一読した後、シスファ王妃はゆっくりと顔を上げ、息子の名を呼んだ。
 「……セイル。」
 「は、はい、母上。」
 まさか、手紙に何かまずいことでも書かれていたのだろうか。
 お兄ちゃんにいじめられるのでカリルはお城に帰りたくありません、とか。
 だったら間違いなく自分の方がこの城から追放される。
 母がお仕置きという名の鉄槌を下す前によく出す声音で名を呼ばれ、セイルは一瞬でそこまで考えて身を硬くする。王妃は、国民の間で『女神の微笑』と称されている目にしたもの皆が心が安らぐような慈愛に満ちた微笑を浮かべながら続けた。
 「シリア・ヴァーンという男を処刑しなさい。」
 「……は?」
 恐れ多き母に対して思わず間抜けな返答をしてしまうセイル。
 「だから、シーラのシリア・ヴァーンという男を探し出して処刑しなさい、と言ってるの。」
 二度繰り返されてやっと言葉の意味が分かったのか、セイルは母の美しい笑みを見たまま固まった。
 「シ、シスファ……いくらなんでもそれはやり過ぎではないか?」
 この国の最高権力者でありながらも、妻のかもし出すオーラに気圧されて恐る恐る国王が制する。その言葉を耳にした王妃は、国民から慕われる為政者であり愛する夫である国王に顔向け、にっこりと微笑んで呼びかけた。
 「……エルデン?」
 「え、あ、その……シ、シスファ?」
 家臣の前での「陛下」でもなく、家族の前での「あなた」でもなく、柔らかなトーンでその名前を呼ばれてたじろぐ国王。
 「私の可愛いカリルに手を出した男をのうのうと生かしておくつもりなの?」
 「いや、だから、その……。」
 「それはどういうことですか、母上!!」
 返答に困って冷や汗をかく国王の言葉を遮って大声を出したのはセイルだった。
 「母上! カリルに何かあったんですか!? その手紙見せて下さい!!」
 気が急くあまり、差し出した母の手からひったくるように手紙を奪う。カイルとレリカも兄に駆け寄り、横から手紙を覗き込んだ。
 簡潔で短い手紙である。さっと目を通しただけで、セイルの顔はみるみるうちに赤く染まっていった。
 「……母上。」
 「なあに?」
 低く搾り出した声を微かに震わせて、彼は王妃に呼びかけた。
 俯いたまま肩を震わせている兄の姿を、隣でレリカが目を丸くして見つめている。頭から吹き出る湯気が見えるのではないかと思うくらい首まで真っ赤に染めたセイルは、顔を上げ母の顔をしっかりと見据えながら続く言葉を告げた。
 「極刑にしましょう。」
 「お、おい、セイルまで何を言い出すのだ!」
 息子とその言葉に我が意を得たりとばかりににっこりと笑った王妃とを交互に見ながら、国王が焦った声を出す。
 「カリルは無事だったのだろう? 何もそこまでしなくても……。」
 「父上! カリルを傷物にしようとした男ですよ!」
 何とか事態を収めようとする父に、食ってかかるセイル。
 「しかし、護衛の者が懲らしめてくれたと書いてあるぞ?」
 「そんな生温い罰を与えただけで放置しておくなんて、甘過ぎます!!」
 「生温いか……? あのスイランがカリルに害を与えたものを生半可なことで放置しとくとは思えないが……。」
 「いくらスイランと言えども殺してはいないでしょう!? この男のしたことは万死に値しますよ!!」
 穏便にことを済まそうと説得しようとする父に、唾を飛ばしながら反論する息子。その様子を黙ってみていたレリカだったが、堪えきれずに吹き出してしまった。
 「な……何がおかしい!?」
 自分の意見を馬鹿にされたような気がしていきり立つセイルに、レリカは笑い声を必死で抑えながら答える。
 「だって……セイルって凄いシスコン!」
 「シ、シスコン!?」
 心外な言われように、セイルの声が裏返る。
 「セイルはカリルを溺愛し過ぎなのよ。」
 「その通りだ。」
 けらけら笑うレリカの隣でカイルが重々しく頷いている。
 「結局無事だったんでしょ? しかも次の日には心身ともに復活したって書いてあるし。じゃあ何も問題ないじゃない。」
 あっさりと言う。
 「身体が無事なら問題ないわけないだろう! カリルがどれだけ怖い思いをしたと思ってるんだ!!」
 拳に握って力説するセイル。しかし、レリカはそのセリフを聞くなり爆笑した。
 「セイルってば全然分かってないわねー。あのカリルなのよ? そんな繊細なわけ……。」
 「レリカ。」
 静かに名を呼ばれて、レリカはぴたりと口を噤んだ。形の良い眉をひそめた声の主を恐々見る。
 「少し言い過ぎよ。年頃の女の子なんだから、男性に乱暴されて怖くないわけないでしょう?」
 「……ごめんなさい。」
 まさか恐るべき母に逆らえるはずもなく、素直に謝る。
 「スイランが大丈夫だと言っているのだから、もう立ち直っているのだと思うわ。でもカリルはあなた達が思っているよりずっと繊細な子なの。きっと怖くて辛かったことでしょう。スイランはそれを分かっているから、きっと一生懸命あの子を癒す努力をしてくれたと思うわ。」
 セイルが神妙な顔でうんうん、と頷いている。
 「でもあの子の心の奥底には深い傷が残ったはず。男性への恐怖心も生まれたと思うの。それはいくらスイランが頑張っても癒せない種類のものなのよ。それを打ち消してくれるような、あの子を守ってくれるような男性が現れない限りね。」
 母としての王妃の言葉に、一同は茶々を入れることもなくじっと聞き入る。
 「だから、エルデン。」
 「んっ?」
 いきなり話を振られてびっくりした様子の国王をじっと見つめて続ける。
 「私はカリルを傷つけた男を赦すつもりはないの。例え身体は無事でも、心を傷つけたなら罪は同じだわ。殺すかどうかはともかくとしても、この手で罰しないと気が済まないのよ。」
 最早優しい微笑みは消えていて、その瞳は静かな怒りに燃えていた。
 「……シスファ。私だってカリルを傷つけた奴を赦しがたいと思っている。あの子は、私の可愛い娘なのだから。」
 妻の瞳を見つめて国王は言った。
 「ただ……お前がいきなり処刑などと言うから止めただけだ。その男を呼び出してそれ相応の罰を与えることに反対などせぬよ。野放しにしておいては他の若い娘が犠牲になる可能性もあるしな。」
 その言葉を聞いて、王妃の顔は納得したように柔らかく綻んだ。くるりと振り向くと、子供達に向かって指令を放つ。
 「カイル。あなたはシーラの警備隊に連絡して即刻シリア・ヴァーンを捕らえさせなさい。」
 「はい、母上。」
 簡潔に短く、了承の意を伝えるカイル。軽く礼をすると足早に部屋を出て行く。
 「セイルはシリア・ヴァーンについての調査を。」
 「はいっ!」
 張り切ってセイルが答える。
 「それと……レリカ。」
 「は、はい……?」
 母の気に触ることを言った自分にはどんな沙汰が下されるのか。脅えながら答えるレリカに、王妃は愛情深い眼差しで告げた。
 「あなたは、護衛の方への贈り物を選びなさい。」
 「……え?」
 戸惑うレリカに、にっこりと微笑む王妃。
 「カリルを助けてくれた護衛の方によ。その方がいなかったらカリルはもっと酷い目に合っていたことでしょう。だから私達の多大な感謝の気持ちが伝わるようなものをスイランへの返事と一緒に送りたいの。あなたのセンスで選んで頂戴。」
 「あ、はい!」
 鉄槌を回避出来たことに安堵しながら答え、レリカは早速部屋を飛び出す。
 子供達がそれぞれの役割を果たしに出て行き、部屋に残された国王と王妃。妻にてきぱきと仕切られ形無しの国王が、王妃の横顔に話しかける。
 「で……私達は何をしようか?」
 所在無げな国王に対して、王妃は再び「女神の微笑」をその顔にのせて答えた。
 「私達は、ただ、その男に死刑を宣告すればいいだけよ。」
 国王は悟った。やっぱり王妃はその男を生かしておくつもりなどないということを。
 シリア・ヴァーンよ、すまない。私には止めることは出来ぬ。私も自分の命が惜しい。
 愛すべき妻の邪気のない笑顔を見つめながら、国王は心の中でシリアにひたすら謝っていた。
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