女神の旋律 第四章 その2

 泣きそうな顔をしたシリアに見送られて、カリル達はシーラの町を後にした。
 よく晴れた青空の下、秋の始まりを予感させる心地よい涼風が時折吹き抜ける。夏と秋の境目で暫く肌寒い日々が続いていたが、今日は穏やかな日差しが降り注ぎ、比較的過ごしやすい。
 歩みに合わせて揺れる瑠璃色の石に太陽の光をキラキラと反射させながら、強引にそのイヤリングの所有者となったカリルがくるりと振り返る。
 「スイラン、そろそろお弁当食べようよー。」
 早くもお腹を空かせて騒ぎ出した主人の声に、スイランは伺うようにセロイを見る。セロイはその視線に応えて苦笑した。
 「じゃあ、どこか座って休めそうな場所を見つけたらそこで昼飯にしようか。」
 「そうですね。」
 その答えに満足そうに頷くカリル。
 「それじゃ、さっさといい場所見つけてお昼にするわよ!」
 張り切ってちゃきちゃき歩き出すカリルの後姿を見つめて、リュオはげんなりとしたようにため息をついた。
 「あいつ……元気だな。」
 思わずボソッと呟く。いつになく元気一杯のカリルはあっという間に小さくなったと思ったら、何やら遠くから叫んでいる。
 「スイラン早くー! ここ丁度良さそうだよー!」
 早くもお弁当を広げられるスペースを見つけたらしい。こういう時だけは妙に積極的に働く姫様である。
 「リュオ早くーー!」
 カリルに手を振りながら呼ばれて、単純にも一瞬嬉しくなったリュオ。が、すぐに気づいて肩を落とした。
 「オレが弁当持ってるからか……。」
 例によって強引に持たされた弁当を眺めてため息をつく。
 オレに早く来て欲しいってわけじゃなくて、弁当に早く来て欲しいだけか……。
 一人で落胆して凹みながらも、とぼとぼと歩みを進める。待ってましたとばかりにカリルに弁当をもぎ取られ、追い討ちをかけられたリュオは更に凹んだ。
 そんなリュオに全く目もくれず、3人は街道の脇の少し開けた草地に布を敷いて弁当を並べる。
 リュオが苦労して背負ってきた弁当の内容は、非常に豪華だった。
 ハムとチーズのサンドウィッチ。ベリーのジャムを挟んだパン。シンディという魚のフライ。イシ鳥のロースト。ポテトのオーブン焼きと茹でた新鮮な卵。彩りの良い茹で野菜には3種類のディップが添えてある。そしてデザートにはオレンジと葡萄。
 もちろん、全てシリアに命じて作らせたものである。
 「おいしいーっ!」
 シリアの家からそのままつけて来てしまったペンダントを揺らして、カリルが天真爛漫に微笑む。
 さすが、ヴァーン商会は世界を股にかけた貿易で儲けているだけのことはある。食材は新鮮で高級なものばかりだし、それを調理するコックの腕も一流である。
 「本当においしいですね。これからはこんなおいしいものが食べられないなんて残念ですねぇ。」
 シリアの家からこっそり持ってきたアンダン産の最高級茶を入れながら、スイランが嘆いてみせる。
 「そうだな。でも路銀も食料もたっぷりあるからひもじい思いだけはしなくて済むのはありがたいな。」
 シリアの家から強奪してきた金の入った鞄を叩きながら、セロイが言う。
 こいつら……人でなしだ。
 リュオは今朝方の騒動を思い出しながら心の中で呟いた。
 朝食を終えると、シリアは弁当の入った木の箱と水筒を捧げ持ってきた。どうやらセロイが前日に頼んでおいたらしい。
 滞在中散々こき使われ3kgは痩せたであろうシリアは、やっと解放される予感からかいつもより生気のある瞳をしていた。
 しかし、その場で発したセロイの命令が、彼を凍りつかせたのだ。
 「有り金全部持って来い。」
 まるでどこかの強盗のようなセリフである。しかし、セロイににやりと笑いながら言われて、シリアが断れるはずも無かった。泣く泣く寝室の金庫を開けて中身をすべてセロイに渡した。シリアの全財産と比べれば大した額ではないとはいえ、十分に大金である。
 しかし、彼の受難はそれだけではなかった。
 セロイが次に命じたのが、小切手帳へのサインである。
 20枚ほどの綴りになった小切手帳の全ての小切手にサインするようシリアに言ったのだ。もちろん金額は未記入である。つまり、セロイがその気になればシリアを破産させられるほどの金額を書き込んで換金することが可能なのだ。
 セロイは、
 「あくまでも非常用だからな。そんな無茶苦茶な金額を引き出したりはしない。」
 と言って安心させようとしていたが、なんの慰めにもなっておらず、シリアは泣きながらサインしていた。
 その間にも、カリルは貰っていく装飾品を物色し、スイランはお茶だのクッキーだの細々としたものを台所から持ち出していた。
 はっきり言って強盗の方がまだましだろう。
 いくらシリアが酷い事をしたと言っても、これはやり過ぎだとリュオは思った。
 しかし、残念なことに、リュオ以外の誰も良心の呵責などと言うものは感じていないらしく、リュオがそれとなく意見してもあっさりと無視された。わりと常識人だと思っていたスイランですら、
 「カリル様を傷つけたんですから、本当なら死刑ですよ。これぐらいで済むなら安いものです。」
 などと言っていたので、もう止めようがなかったのだ。
 ホント、悪党だよ……。
 スイランの入れたお茶を飲みながら、リュオは顔に出さないように心の奥で思う。一口啜ったお茶は、やはりアンダン産の高級品だけあって格別においしかった。
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