女神の旋律 第四章 その3
 人、人、人。
 観光地として名を馳せるクリアルヌは、ちょうど旅行シーズンであることも相まって人でごった返していた。
 メインストリートには白壁が眩しい高級ホテルが立ち並び、レストランのテラスは昼食と共に早くも葡萄酒を楽しむ人々で満席だ。通りにはみ出して品物を並べる土産物店には大人がひしめき、大道芸人の周りには子供達が群がっている。
 クリアルヌはリション第2の都市と言っても過言ではないが、はっきり言ってしまえば大して大きな街ではない。リションは、隣国のクレマチス、ロンパスなどと比べると国土は半分程度しかない比較的小さな国である。その上国土の1/3近くが山岳地帯なので、国民のほとんどは少ない平地に身を寄せるようにして暮らしている。当然一つ一つの街の規模もクレマチスと比べると小さく、クリアルヌもシーラと同程度の大きさしかない。
 そんな決して大きいとは言えない街だが、観光地としては他国の大都市と張り合えるほどの集客力を有している。リションの財政はこの街の観光業の収益に左右されると言ってもいい程、クリアルヌを訪れる観光客は多い。一見どこにでもある地方都市のようであるが、クリアルヌには観光客が挙って訪れるような魅力的なあるものがあった。その他の街にはないあるもののお陰で、人々はクリアルヌに引き寄せられるように集まってくるのだ。
 そして、今、そのクリアルヌの目玉とも言うべき建造物がカリル達の目の前にそびえ立っていた。
 「ちょっと、スイラン! あれって、あれじゃない!?」
 何の説明にもなってないセリフを吐きながら、カリルがその建造物を指差す。
 「そうですね! 間違いありません。あれがそれです!」
 手元の観光案内パンフレットと実物を見比べながら、スイランが頷く。
 「何だよ、あれ……。」
 スイランに同調して重々しく頷いているセロイの横で、リュオがスイランの手元を覗き込んだ。
 『世界で一つだけ! クリアルヌで大人気! ウォータースピードスライダー!!』
 人工的な小山のようなものの斜面に水路が設けられ、10人分程度の座席が設けられた小さな船がその水路に浮かべられている写真が載っている。実物に目をやると、高さが徐々に低くなっていく3つの小山が連なっているのが見えた。どうやらその3つの小山の水路が繋がっており、そこを船が滑り落ちるという代物らしい。時折聞こえる甲高い悲鳴のような声が、リュオを甚く不安にさせた。
 「すごーい! 楽しそうーー!!」
 カリルが興奮した声を上げ、瞳を輝かせる。
 「お母さんも『あれは何度も乗りたくなるぐらい楽しいわよ』って言ってたけど、本当に楽しそう! 絶対乗る!!」
 「王妃様はリションの方ですから、きっと実際に何度もお乗りになったんでしょう。王妃様がおっしゃるなら、カリル様も気に入りそうですね。」
 「でしょ? だから行くわよ! 今すぐ!」
 うそだろ? 今から乗りに行く気かよ……!?
 ノリノリのカリルと、それをにこにこしながら見ているスイランの様子にうろたえたリュオは、こういうものには全く興味のなさそうなセロイが反対意見を出してくれるのを待った。が。
 「へえ……機械仕掛けで頂上まで船を持ち上げるのか。凄い技術だ。一見の価値ありだな。」
 セロイが、パンフレットに記載された説明を読みながら言う。リュオは、思いのほか乗り気な相棒の意見に焦った。期待に反して誰も阻止してくれないので、思い切って自分の意見を言ってみる。
 「……オレ、パス。」
 一瞬にしてカリルに物凄い形相で睨まれる。
 「な、何だよ。」
 その恐ろしさにひるみながらも、リュオは少々強気に言い返した。だが、その次の瞬間、カリルに口の片端を上げて意味ありげににやりと笑われる。
 「ふうん……そっか、リュオって、あーゆーの怖いんだ?」
 明らかに馬鹿にして笑うカリルの表情に、リュオは羞恥と怒りと情けなさと憤慨で一気に頬が熱くなる。
 「べ、別に怖くなんかねーよ!」
 思わず口走った。カリルの前だから虚勢を張っているだけだ、ということは誰の目にも明らかである。その証拠に、セロイとスイランがこっそりと吹き出している。
 しかし、当のカリルは全く気がつかないらしく、あっさりと表情を笑顔に変えるとリュオの腕を掴んだ。
 「あ、そう。じゃあ問題ないじゃない! 行くわよ!!」
 「えっ!?」
 焦るリュオをぐんぐんと引っ張るカリル。
 「おい! ちょっと待て! カリルっ!」
 必死で抵抗する声も、目標を定めて前進するカリルの耳にはまるで届かないらしい。街路に空しく叫び声を響かせながら、リュオは引きずられるように連れて行かれた。
 ウォータースピードスライダーから降りてきたリュオの顔は青ざめていた。姿勢もやや前屈みで、足元も少しふらふらしている。まさに、死ぬ一歩寸前である。
 「リュオさん、大丈夫ですか?」
 やっとの思いでベンチに腰掛けたリュオの背中を、スイランがそっとさすってくれる。
 スイランって優しい……。
 スイランの心遣いにじんと来て、思わず涙ぐみそうになるリュオ。
 「情けなーい。」
 だが、頭上から降ってきた容赦のない声に、リュオはびくりと身体を強張らせる。
 「あれぐらいで酔うなんて弱過ぎ。最低。」
 「なっ……!うぅっ……。」
 あまりの言われように反論するべく立ち上がろうとしたが、途端に気持ち悪さが復活して座り込んでしまう。さっきとは別の意味で涙ぐんできた。
 大声で言い返したいのに、その気力がない。しょうがないので座ったまま、腕組みをして偉そうに立つカリルを見上げて恨めしそうに言う。
 「お前……人を労わる気持ちってのがないのかよ……。」
 「そんな弱っちい男大っ嫌いだから労わる必要ないわ!」
 高飛車に反論されて再び涙ぐむリュオ。嫌いとか言われてかなり落ち込んだ挙句、半ば不貞腐れたように言い返した。
 「……じゃあ、どんな奴ならいいんだよ。ウォータースピードスライダーで酔わない男ならいいのか?」
 「あ! リュオさん! だめですっ!!」
 リュオの言葉をかき消すように、スイランが慌てて叫んだ。珍しく取り乱し、大声を上げている。
 しかし、そのスイランの必死の叫びが聞き入れられることはなかった。
 「よくぞ聞いてくれました!!」
 リュオの言葉に反応して急に張り切りだしたカリルに、一同は一瞬あっけに取られた。
 そんな周囲の様子をものともせず、カリルは何処からか取り出した分厚い紙の束をペラペラとめくる。
 「私の理想の婚約者の条件はねぇ……第1条、髪色は黒であること。第2条、髪の長さは肩より短いこと。第3条、髪はストレートであること。第4条、髪質はよく艶やかであること。第5条、背丈は175cm以上180cm以下であること。第6条、太ってないこと。第7条、もやし体型じゃないこと。第8条、歯並びが良くて虫歯がないこと。第9条……。」
 リュオたちが口を挟む間もなく、カリルは滔々としゃべり続ける。
 「瞳の色は澄んだグリーンで混じりけのないこと。第10条、目は切れ長で二重であること。第11条……。」
 「おい、スイラン……こいつ、どうしたらいいんだ……?」
 「あぁ……だから言いましたのに……。」
 スイランが頭を抱えてベンチに座り込んだ。
 「お二人とも、お座りになってください。まだ時間かかりますから。カリル様はこれを言い出したら126条全部言い終わるまで止まりませんので。」
 「126条!?」
 驚きのあまり声を合わせて叫んでしまう。
 「まあ、126条と言っても読んでいるだけですから、10分ぐらいで終わりますけどね。」
 どこか諦めたような声でスイランに言われて、男達はほっと胸を撫で下ろした。
 「しかし、よく126条も考えたな……。」
 馬鹿にしてるような感心してるような口調でセロイが呟く。
 「カリル様は、自分の我が儘を通すためならなんだってやりますので。」
 妙に冷めた口調で断言されて、なるほどと頷いていしまうセロイ。しかし、我が儘ゆえに条件を整理し、条文として記す手間を惜しまないとは、恐るべき我が儘精神である。そのエネルギーを他のことに使えば、もっと世の中のためになるだろう。
 「第92条、服装が派手でないこと。第93条、山より海が好きであること。第94条……。」
 「そろそろ終わるかな。」
 「そうですね。あと3分ぐらいでしょうか……。」
 セロイとスイランがぼそぼそと話している横で、リュオはカリルの姿を呆然と見ていた。カリルの示す条件の多さ、そして厳しさに呆然としていたのである。
 「なんか分からないけど、落ち込んできた……。」
 カリルの挙げる条件の半分以上に、リュオは当てはまらないのである。特に容姿に関する部分の条件がほとんど満たせない。要するに、条件から言えば、カリルにとってリュオなど全く対象外、と言うことである。
 「オレ、全然だめだ……。」
 可哀想な奴だ。
 でもなんで、こんなに悲しいんだろう……。
 だが、その事実で何故こんなに打ちのめされているのか未だに自覚していないのは馬鹿としか言いようがなく、同情の余地はなかった。
 「第122条、乗馬が上手いこと。第123条、声が低いこと。第124条……。」
 一人で自信喪失しているリュオなど全く気にせず、カリルはついにその条件を読み終えようとしていた。
 「グルメであること。第125条、プレゼントを沢山くれること。第126条……」
 やっと終わる。
 誰もがそう思い、カリルが読み終わるのを息を詰めて見守っていた。
 「お兄ちゃんみたいに自信過剰で思い込みが激しくてうるさくないこと!!」
 やけに力の入った第126条をもって、ようやくカリルの婚約者の条件全126条の朗読は終了した。所要時間は10分18秒であった。
 ほっとしたような顔のスイランとセロイ。その横でベンチで肩を落としているリュオは、落ち込んでいるにもかかわらず少し思ってしまった。
 カリルの兄に会ってみたい、と。
← previous | novel index | next →