女神の旋律 第四章 その5
情けない、か……。
さっさと戦線離脱して一足先に宿へと帰ったリュオは、ベッドの上で仰向けに寝転がりながら、カリルに叩きつけられた言葉を反芻していた。
確かに情けないしかっこ悪いよな……ウォータースピードスライダーで酔って足腰立たなくなるなんて。
ただでさえ落ち込みやすく自己嫌悪に陥りやすいリュオだったが、自分でもショックを受けているところを更にカリルに追い打ちをかけられて、ちょっとやそっとでは這いあがれないほどどん底の気分になっていた。
弱い、最低、大嫌い。ひどい罵倒の言葉に加えて、あの厳し過ぎる条件。その全てがリュオの心を打ちのめした。と同時に、こんなにもショックを受けている自分自身に困惑していた。
「情けない」の言葉に男としてのプライドをへし折られて傷つくのは分かる。だが、こんなにまで落ち込んだのは「大嫌い」と言われてあの条件を突き付けられてからだ。それがどうしてこんなに胸を刺すのか。
自分の感情の動きが不可解で、リュオは天井の染みをじっと見つめながら考え込んだ。
まさかオレ……カリルのこと好きなのか? いや、まさか。そんなわけない。
突如思い浮かんだ結論に驚愕し、慌てて否定する。あんな自分勝手な我が儘女、好きになるわけがない。
だけど……。
必死で自分に言い聞かせながらも、心の片隅で、ごく僅かな隙間から、反論する自分がいた。
だけど。あいつの、カリルの傍に、居てやりたい。
確かにそう思っている自分がいた。
そんなふうに思うのは、リュオにとって初めての経験だった。
誰かの傍に居てやりたい、そう思うのは。
誰かに傍に居て欲しいと思ったことは何度もあった。
どうしても魔法が使えないと分かった時。王位継承者の住まう宮殿の中心部ではないはずれた場所に居室を移された時。貴族の娘たちが自分についてしていた噂話をこの耳で聞いてしまった時。
どうしようもなく悔しくて悲しくて胸が痛くて。こんな時、誰か、自分と向き合ってくれて話をしてくれる誰かに、傍に居て欲しいと願ったことがあった。
だけど、今、オレは、カリルの傍に居てやりたいと思っている。
言うことにいちいち歯向かってきて、大声でくだらない喧嘩をして、作ったご飯をおいしそうに食べてくれて、作り笑顔ではない本当の笑顔を向けてくれた。
カリルはくるくると変化する豊かな感情を、何の飾りもなく剥き出しのままリュオにぶつけてきた。
そんなことをしてくれた女は、リュオの20余年の人生の中でカリルただ一人だけだった。
だからオレは、いつも天真爛漫で自分に正直なあいつが、あんな風に傷ついて泣きたいのを必死で堪える姿なんて見たくない。
リュオは無意識のうちに、傍らの剣の柄をぎゅっと握りしめていた。
だから、見た目よりずっと繊細で傷つきやすい、あいつの心を脅かす者を追い払ってやりたい。
国中から嘲笑され蔑まれて誰にも必要とされてこなかったこんなオレでも、それぐらいのことはしてやれるから。
せめて、あいつが無事に城に帰り着く日まで、オレがこの剣で守ってやりたい。
ただそれだけだ。
恋愛などではなく、ただそれだけのこと。
しかしリュオは、少しずつであるが確かに気付き始めていた。
それが人を大切に想うということ、愛することだということに。
ダンダンダンダンダンッ。
「!!」
ウォータースピードスライダーで体力を消耗したのか、それとも慣れないことを考え過ぎたせいで疲労したのか。
ベッドの上に寝っ転がったままうたた寝をしてしまっていたところに、乱暴にドアを叩く大きな音が響いた。
「リュオ! 開けてくれ!」
何事かと飛び起きたリュオの耳に、聞きなれたセロイの声が、彼らしからぬ切羽詰まった声音で飛び込んでくる。
リュオは慌ててベッドから飛び降りると、ドアに走り寄って鍵を開けた。
こちらから開けてやろうとノブに手を伸ばすより先に、風を斬るような勢いでドアが引かれる。
驚いて立ちつくすリュオの目の前に、長身の男が険しい表情で立ちはだかっていた。
「セロイ、」
「ちょっとどけ。」
遅かったな、という言葉を発する前に低い声がそれを遮る。有無を言わせぬ目と口調に、リュオは素直に身を引いた。
「いったい何事……っスイラン!?」
背中に問いかけようとした矢先、リュオはぐったりとセロイの背中に背負われているスイランが視界に入る。
「スイラン、おい、どうしたんだよ! 大丈夫なのか!?」
焦ってセロイとスイランを交互に見るリュオ。セロイは、ベッドの上にそっとスイランを下ろしながら、おろおろしているリュオを落ち着かせるように言った。
「スイランは大丈夫だ。眠ってるだけだ。だから少し落ち着け。」
そう言われて、一旦は落ち着きかけたリュオだったが、すぐに新たなことに気づいて先程より大きな声を張り上げた。
「セロイ、カリルは一緒じゃないのか? カリルはどこ行ったんだよ!」
女性を守ることに関しては人一倍真面目で慎重なセロイが、カリルを見知らぬ街で一人にするわけがない。長年の付き合いでセロイの性格を熟知しているリュオは、カリルがいないことに気づいた瞬間すぐにそう思った。
そのセロイが、カリルを伴っていない。しかも、スイランはぐったりと意識を失ったままだし、セロイの顔も心なしか疲労して見える。
「……何があったんだよ……!」
何か異常な事態が起こっているという予感がする。リュオは答えを聞くのを恐れながらも、セロイを問いただした。
スイランをベッドに横たえさせ、毛布を一枚かけてやってから、セロイはリュオの方に向き直った。
「今話すから。いろいろ言いたいことはあると思うが、とりあえず黙って聞いてくれないか。」
そして、疲労を色濃く滲ませながらも険しい表情で語り始めた。